今日は私の生い立ち、幼少期について。生い立ちはすごく長ーくなってしまうので、セクションに分けて書いていきます。
母と父は二人とも27,28歳の頃に結婚。母親はかなり田舎の村出身で、4姉妹の一番下、見た目も性格も大人しい人。父は3兄妹の一番上、前にもお話したようにアスペルガーを持っているので人の気持ちが理解できない、自分の感情だけに覆われてしまう性格です。父方の両親と祖母(わたしからするとおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん)と、父、母、3つ下の弟の7人家族でした。
記憶がある限り、生まれた時から10代になるまでは父親との接点がほとんどなかったように思います。接点があるとすると、彼がイライラしている時、怒っている時、悲しいことにほとんど良い思い出がありません。土日は、母親と弟と過ごすばかりで、父親はずっとパチンコでした。
両親は共働きで自営の工場勤務(祖父は工場、祖母は畑仕事)だったので、幼稚園や小学校から帰ってくるとひいおばあちゃんが面倒をみてくれていたので自然とひいおばあちゃん子になりました。
子どもながらに衝撃的な出来事は鮮明に覚えています。恐らく3~5歳くらいだったある日、父母と私(弟がいたかは覚えていません)で父親の知り合いが経営している喫茶店に行った時のこと、メロンソーダが飲みたくて母が頼んでくれたのだと思います。大人の椅子で飲めなかったので、立って飲もうとした時に一口も口に出来ない状態でメロンソーダが倒れてしまい、床に落ち、グラスも割れてしまったんですね。楽しみにしていたチェリーも遠くに転がってしまったことまで覚えています。
その瞬間、父親がいつもの般若のような顔で小さな私に怒鳴りつけて(彼にとったら私が父の知り合いに恥をかかせた、迷惑をかけたという感情が100%でした)、喫茶店のオーナー(父の知り合い)も父のものすごい剣幕にびっくりして(&私のことをすごくかわいそうと思っている表情でした)、「子どもなんだからこぼしちゃうこともあるさ」といって片付けてくれ、「もう一回作るね」と言ってくれたのですが、ここも父が「こんなやつに飲む資格はない」と言い張って、結局一口も飲めずに立ちながらずっと泣いていたのを覚えています。もちろん母親は基本何も言えない人だったので、私は楽しみにしていたメロンソーダも飲めず、怒られて泣いて終わるという時間でした。私は今いい歳ですし、そうでなくても小さい子どもが飲み物をこぼすくらいよくあることだと思うし、未だにあんな剣幕で怒られたことが信じられません笑。
これはあくまでも一例で、だいたい父が怒ると母は味方をしてくれないというのがいつものパターンだったので、私はそのうち母に対して何も期待をしなくなりました。
母も父も、跡継ぎである弟がかわいくてたまらないようで、それも小さいながら私はひしひしと感じ育ちました。本当に惨めというか、悲しい幼少期でした。それと同時に、ここは私の居場所じゃないとよく思っていました。早くここから去りたい。ここにいても私は意味が無い。と。小さいのに、愛情があるのが普通という感覚を持っていたんですね。今考えても小さいながら達観していたなと思います。
続く。
【留意頂きたいこと】これは私がこれまでどんな人生を歩んできて今の自分がいるかを説明しているブログであり、同情を求めるために書いているブログではありません。ライフコーチとして、辛い過去があるからこそ人の痛みや悩みが理解できると信じています。
