今日は私の生い立ちについて。
私は1982年、長野県で生まれました。
ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、両親、3つ下の弟、私の7人家族。父の妹二人が独身で一緒に暮らす期間もあったので、たまに8人家族でした。
おじいちゃんが始めた部品工場が主に家族経営、農家でもあったため、お米や野菜作りもしていました。初めて一人暮らしをした時に自分で野菜を買って、なんて高いんだと思った記憶があります。
おじいちゃんと両親は工場勤務、おばあちゃんは農作業、ひいおばあちゃんは家にいたので、必然的にひいおばあちゃん子として育ちました。
幼稚園、小学校から帰ってくるといつもひいおばあちゃんと祖父母と15時のお茶を飲んでいました。長野県の農家では午前中の10時と午後の15時頃にお茶(&お菓子)を飲むのが習慣です。
本当に小さい頃からザ・蠍座(人生で生死を繰り返す)と言わんばかりの出来事がたくさんありましたが、ここでは書ききれないので、徐々にお話をしていきます。そしてこの生死の繰り返しが今の私の原点です。
小学校5年生の時にいじめに遭い、中学1年生までおとなしい子だったと思います。「イグアナの娘」というドラマをきっかけに明るいキャラクターへと変わっていき、友だちとも楽しく過ごせました。今考えると学生時代は中学校が一番楽しかったです。そして同じ中学1年生の時にDiana King(ダイアナ・キング)というレゲエ歌手のShy Guy(シャイ・ガイ)がCMで流れているのを聴いて、英語に興味を持ち始めたのです。きっとずっと日本や日本の同調文化に違和感を感じていた理由が分かった瞬間でもあったと思います。
そして、同じ時期から幼馴染みのお姉ちゃんが高校を中退してオーストラリアへ留学、同年生が中学2年で中学を中退しイギリスへ留学など、周りで英語や海外に携わる人が増えたことにより「自分も海外へ行く」、「英語を話せれば日本以外の国の人たちとコミュニケーションが取れる」、「これでなんで私が周りと違うか分かるかもしれない」と思ったのです。
一応行こうと思っていた高校に万が一受からないということがあれば「留学する理由ができる」なんて思っていました。幸か不幸か高校入試に合格をしたので他の子たちと同じように地元の高校へ行くこととなります。
そして、高校もいろいろありながら、それなりに友だちとも楽しく過ごし卒業、アメリカのロサンゼルスに旅立ちます。
高校卒業後からアメリカへ行き、911で帰国、しばらく日本でお金を貯めて、また渡米といろいろありますが、そこもまた別途お話します。
2004年にアメリカから戻り、東京で普通にOLとして働き始めます。そして人生の紆余曲折を経て今の私がここにいます。
このページだけずらっーと読むと、なんの問題もなく普通の家庭で育ったんだろうなと思う方が大半だと思います。が、実は本には書き収まらないくらい生死(ここでいう生死は精神の生死です)を繰り返してきました。詳細はまた別のブログにて。
